“DEVILMAN crybaby” 感想

2018/1/5からNetflixで配信されている

 

“DEVILMAN crybaby”

 

を見た。いろいろ思うところがあったので、感想を書いておく。

原作を読んだわけでも、予備知識がある訳でもないので、「へ〜」くらいで読んでいただければと思います。

 

【あらすじ】

泣き虫の高校生・不動明は、幼なじみの飛鳥了と再会し、危険なパーティに誘われた。
そこで明は見る。悪魔に変わっていく人々を。
そしてまた明自身も……。

 

以下、ネタバレを含みます。

 

【感想】

久々にアニメ、映画含め映像作品で衝撃を受けた。

描写はもちろんだが、作品が含む"監督の意図"がここまで色濃く出ているという点に衝撃を受けた。

 

この作品のテーマとして、

「泣く」、「走る」

があると思う。

泣く = 人間であることの象徴

走る = 思いを伝えることの象徴

として描かれている。

 

【泣く】

作品内では、人間が涙を流すシーンが多くあり、それは人間と悪魔の境界線をはっきりとさせる役割を持っている。

特に印象的だったのは、10話の明が「涙は枯れた」と言うシーン、5話でシレーヌが合体の際に涙を流すシーンだ。これらは、人間→悪魔、悪魔→人間とちらにもなり得ることを表している。これらのシーン以外にも、人間と悪魔が表裏一体であることを暗示するシーンは多数あった。人間の心の弱さが、人間を悪魔にしてしまうこと、悪魔にも感情が芽生えること、これらは過去に多くの作品で描かれてきたテーマではあるだろうが、この作品が一番印象的だった。

 

では、なぜそこまで印象に残るのか、、、

デビルマン」という作品の性質上、原作を再現することには、かなりの厳しさがつきまとう。しかし、Netflixでは、エロ、グロ、どちらも容赦なく描写されており、その生々しい映像に釘付けにされた。

 

【走る】

部活、リレー、逃走

キャラクターが走るシーンが多く登場する。

一人で走ることは、誰かに思いを伝えるために苦悩する様子。バトンを繋ぐ、手を繋ぐシーンは、思いが通じたことを表しているのではないだろうか。

 

また、作品中には、多くの回想シーンが登場する。母親に呼びかけられるシーン、バトンを繋ぐシーン、、、

これらによって、他人に思いがしっかりと伝わっていること、思いを伝えることの難しさが強調されている。

 

思いを伝える手段として、「ネット配信」も描かれている。素直に受け止める者、罵詈雑言を浴びせる者、感じ方は人それぞれだ。それでも、考える機会を与え、なにかを感じて欲しい、そんな思いが込められているような気がする。これは、美樹だけの思いではなく、Netflixで配信することを決めた、監督の思い出もあると思う。

 

【人間と悪魔】

今作における悪魔は、「人類を滅ぼすモノ」であると同時に、「人間」として描かれている。人間でも、自らの欲望に忠実なものが悪魔、理性を持ち、他人を思いやれるのが人間、という感じではないだろうか。

明は人間であり、悪魔である。少しわかりにくい表現になるが、この2面を併せ持つ者こそが真に「人間」なのではないだろうか。なにかに、怒り、悩み、悲しみ、喜び、どれか一つの感情しか持っていないものなど存在しない。

 

【総括】

とにかく良い。原作読みます。

 

あと、美樹が最高に可愛い。